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- 常設展示 池田満寿夫
常設展示のご案内PERMANENT EXHIBITION
池田満寿夫 陶彫・般若心経シリーズ
1F/第3室
池田満寿夫は世界的な版画家でありながら、あふれる才能のままに幅広いジャンルで活躍したそのマルチぶりがよく語られますが、人生の晩年に出会った最後の表現こそが<陶>でした。版画では意識して日本の伝統的なものを排してきた池田でしたが「陶芸の場合は何ら抵抗なく素直に伝統回帰、日本回帰できた」と語っています。そして土と火が創造と破壊を繰り返す<陶>の世界に「輪廻転生」を感じ、仏教芸術が人々の意識のなかから消え忘れ去られることに危機感を覚え、「陶こそが般若心経にふさわしい」と制作に挑みました。発表の3年後、1997年に63歳の若さで突然亡くなりますが、本シリーズは池田芸術の金字塔として後世に語り継がれるものとなりました。
またパラミタミュージアムでは、収蔵する200点を超える池田満寿夫の版画作品の中から、数か月ごとに作品を入れ替えて、版画と陶彫のコラボレーションをお楽しみいただけます。
企画展関連イベント/パラミタコンサート開催日は第3展示室にイスを設置する為、池田満寿夫般若心経シリーズをご覧頂くことができません。悪しからずご了承願います。
詳細はコンサート情報/企画展をご確認ください。
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[ 般若心経シリーズ・心経碑 ] 1994年
経文は最初石に彫られたに違いない。碑は人類最初の記念碑である。そして墓に刻まれ地上に残る。(池田満寿夫)
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[ 般若心経シリーズ・地蔵 ] 1994年
野や山を歩いていて不意に出くわす地蔵が大好きだ。寒風と灼熱に晒されて立ち、行き交う人々を見続けて来た。地蔵に永遠を感じる。(池田満寿夫)
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[ 般若心経シリーズ・佛塔 ] 1994年
菩薩の顔が佛塔に刻まれた時、その容貌がガンダーラ佛に似ているのに我ながら驚いた。あるいは佛教芸術の原型を表現したいと考えた結果かもしれない。(池田満寿夫)
[ 般若心経シリーズ・佛画陶板 ] 1994年
奇妙だが画家であるが故に佛画は描けないと思っていた。しかし心経シリーズ最後の瞬間に粘土板に不意に描きはじめたのである。(池田満寿夫)
プロフィール
1934年、旧満州に生まれる。1945年、終戦とともに帰国し長野市立柳町小学校に編入学。高校卒業後、東京藝術大学油絵科・彫刻科(2回)を志し受験するが不合格となり、20代前半から銅版画家として独自に創作活動を行う。1960年、第2回東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞を受賞。以降、版画を中心に精力的な制作活動を続け、ヨーロッパ・アメリカ・日本で数々の受賞を重ねる。1966年、第33回ヴェネチア・ビエンナーレ展に27点を出品し版画部門の大賞を受賞、翌年には33歳で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1977年、小説『エーゲ海に捧ぐ』で第77回芥川賞を受賞。
1983年、49歳の時に南伊豆町の岩殿寺窯で初めて作陶を試み、1986年には熱海市下多賀に「満陽工房」を設立。1993年山梨県増穂町(現・富士川町)に「満寿夫八方窯」を築窯し旺盛に陶芸作品をつくり続け、国内各地で個展を開催して作品を発表した。1997年逝去、享年63。